メールは突然やってきた。


日本シリーズ真っ只中。
俺は「新着メッセージ無し」の文字を見る悲しみをわかっていながら、
長年愛用している、Hotmailのメールボックスを開けた。

「新着メッセージ 2通」という文字が俺の目に飛び込んだ。
ウキウキで受信トレイを開いた。

ひとつは「!未承諾広告!楽々DVDが手に入る!映画・音楽・AV」というものだった。
それを開かずに消し、ウェブサイト上のメールフォームから送ったと思われるタイトルのメールが一通。

内容を読むなり、深夜一時でありながら俺はぶっ飛んだ。
いくらサイト管理者であろうが、ただの凡人高校生の俺にこともあろうか取材依頼が来たのである。
世も末か。俺は新聞に載ることができるような人間なのか。

しかし、一生のうち、取材を受ける機会などそうない。しかも俺メインである。
こんな少ない機会、いや、もはやもうこんな機会は俺の生涯、2度とないであろう。
これを逃したら、俺は死ぬまで後悔する。そう考えた。


だいたい、何故にして俺なんかが取材を受けるのか。
さまざまな視点から日本シリーズを眺める人たちのドキュメントのシリーズ連載だったようだ。
俺は「インターネットから」眺めていると。
別にそうでもないのだが。

「よろしかったら社会部にまで電話を」との事であったので、
社会部のエリック記者(仮名)に学校帰りに公衆電話から連絡をとった。

しかし、今時、学校帰りに「公衆電話」とはどうであろう。
「携帯電話の画面が白黒である」ということであるだけでも、かなりの時代遅れなのに携帯電話すら持っていないとは。
「初恋物語」のテレフォンカードを財布に入れて持ち歩いている。小さい子がキスしてるやつだ。
正直、辛い。
これが「テレフォンカード販売機」から出てきた9月28日は一日ブルーだった。あれは図柄を選べるようにするべきだ。
俺はきれいな山ですとか、きれいな白鳥ですねとか、そういうテレカが欲しい。
セピア色のキスシーン、しかも俺よりも10年以上も年下の子のキスシーンのテレカを持ったところで、気が滅入るだけなのだ。
「ピピーッピピーッ」と鳴って、あのテレカが再び緑色の箱から出てくる瞬間、必ずため息をついてしまう。
俺以外の家族は全員、いや家族に限らず、日本中の俺以外全員、携帯電話を持っている。俺だけ仲間はずれ。買ってよママ。

新しい友人からケータイのメールアドレスを聞かれるとき、いつも困る。
「いや、持ってねーけん」
というと、「俺に教えたくないのか」「はっきり言えばいいじゃねえかよ」「男同士でメールなんぞきもいってか」という表情になり、とても怖い。
いつか集団リンチに遭うのではないかとびくびくしている。

と、携帯電話の話題が長すぎ。本題に戻る。悪い癖だ。
エリック記者にケータイの番号を聞かれて、「いや、あの、持ってないんですよ」と公衆電話で俺が答えた後の、あの一瞬の間。
俺は日本中の全ての人々から外れている気がしたものである。
まあ、それはいいとして、俺は自宅の電話番号を教えた。

「実名も写真も出ますがいいですか」
これは正直、ヤバい。
実名もあまり出したくないし、写真については小学校時代、写真公開で痛い目に遭っているので気が乗らない。
別にこのサイトに関する取材でなければ何ともないのだが、「王塚貞治」の取材であるだけに、これには少々抵抗があった。
しかし、ここで「それはダメですね、お断りです」なんて何様的発言をすると、せっかくの取材の話がナシになっちゃうかもしれない。
それが怖くて「いいですよ」と承諾した。



翌日、事態は急展開を迎える。
エリック記者が自宅に電話してきた。趣旨は「今から自宅に行っていいか」と。

エリックはケータイで自宅への道を俺に聞き、無事、自宅にたどり着いた。

家の居間でインタビューが始まった。

俺は喋って喋りまくった。
マンツーマンだとよく喋る。2〜3時間休みなく喋り続けた。
俺の口はまさしく「ダイハード打線」そのものだった。
エリック記者も「面白いな、面白いな」と俺のこのサイトに関する話を笑いながら聞いてくれた。
人から話を引き出すことが上手な人物である。

俺は話しているうちにノってきた。そういう男である。
日本シリーズを観ながら話をしていたからであろう。ホークスは俺が話しまくっている間に負け、星野阪神が王手をかけた。
星野監督は俺とエリック記者の前でこう言った。

「バルデスのポール直撃のラッキーなホームラン・・・・」と。
俺の愛するペドロになんてことを。
バルデスの持ち味の流し打ちを「ラッキー」と言い放った。これは研究不足の露呈だった。
このとき、俺はホークスの日本一を確信した。エリック記者と言った。
「星野、ムカつきますね」

エリック記者は言っていた。
このようにムカつくことがあるが、新聞記事というのは中立的に書かなければならないので、大変だヨと。
いい社会勉強になった。取材してくれてありがとうございました。一生忘れません。大袈裟。

しかし、エリック記者の容貌はインパクトがあって、今でもはっきり覚えている。
エリック記者は僕の心の中に今もいるのです。

できた記事はこんな感じだった。

王塚貞治、です。
二十四日午後6時。福岡市内の高校から、宗像市の自宅に帰ると、「俺の本名」(一六)はいつものようにパソコンのスイッチを入れた。
「掲示板の書き込みはうーん、ないな。」
そして、日本シリーズ第5戦のテレビ中継を待った。
インターネットの福岡ダイエーホークスファンサイト、「HawkAim」の管理者である。
王監督をもじって「王塚」の名でサイトを開いている。
前身の「Hawks応援共和国」を立ち上げたのは1999年11月1日。
初めて触れたパソコンに慣れるためもあったが、ホークスのリーグ制覇に合わせようと、説明書を読みふけった。
当時、小学六年だった。
「もともと凝り性で一つのことにのめり込むタイプなんです」。
キックベースボールで野球のルールを知った小学二年春以来のホークスファン。
この都市に王監督が就任し、
「王・ホークスと共に成長してきました」。
「HawkAim」は今秋、アクセス総数が十万件を突破。
過去には、他界した藤井将雄投手を追悼する「藤井投手よ永遠に」が一日約4000件。
2001年、本塁打の日本記録に挑んだ近鉄・ローズ選手に対するホークス敬遠作の検証に約1000件のアクセスがあった。
「特集はほとんど思いつき。結構、楽しんでもらえると自負しているのですが・・・」。
助っ人外国人をこよなく愛し、特集も多い。
しかし、なぜか、ホークスとは無関係のプライベート日記の方が人気は高い。
コーナーの名は「ジョージ・マッケンジー」。
もちろん、城島健司選手の名から取っている。
今春、高校進学。
「通学に1時間30分かかり、昔ほど暇が無くなった」ため、シリーズ中もひいきのズレータ選手が活躍した第2戦のまま更新が止まっている。
二十五日朝、第5戦の逆転負けを引きずりつつ、サイトの掲示板をチェック。
数件の書き込みに元気を取り戻した。
「今年はホームチームシリーズ。福岡ドームで連勝して、王監督の胴上げを新しいサイトに載せるつもりです。」
地元で逆襲だ。

載せた胴上げ写真。

思った以上に、掲載された俺の写真がでかかった。びびった。
エリック記者がくれた名刺ほどサイズがあって焦った。
俺が笑いすぎている。爆笑している。
目がいつもの4分の1の細さだ。
調子に乗りまくっているのが見え見えで痛々しい。ウケすぎである。
自分が取材を受けて写真を撮られていることにウケていたのは確かだが、さすがに笑いすぎ。
面白い写真だ。

載ったのが夕刊で助かった。
知人に誰にも「新聞に載っとったね」と言われずに済み、俺一人、ampmで夕刊を買ってほくそ笑むという最高のパターンになった。
本当にありがとう西日本新聞社!



俺、西日本新聞社に入社しよーかなー♪




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