No.6  ウンコがつなぐ友情の輪


私は本当にわかりやすいですね。
なんてったって、「明日は入学式」でずーっとストップなんですから。

その通り、暇がないんだ暇が。

6時に起床、7時に電車に乗り、4時半に授業終了、6時半に帰宅。
メシ食って、風呂入って、それから大量の予習です。
で、明日も早いので早く寝なきゃキツい。完全に振り回されています。

しかも、5月から朝補習なるものが始まりますので、起床が5時という、
聞いただけで吐きそうな時間帯になるわけです。

昨日なんて、身体計測のためだけに、6時に起きて7時の電車に乗ったわけですから。頭の中で吐きまくりです。

その身体計測で生徒の人数が多いから、班を作って班行動で身体計測を受けました。それが出席番号から6人ずつで、私が7番で2班の先頭番号だったわけです。で、先頭番号が班長だというので、思いがけなく班長になりました。

私、まだクラスメイトと喋ってなくて。
というかですね、私は転校経験豊富で、みんな知らない人の中でボク一人という状況に酷く慣れていたんですね。それでいわゆるベテラン思想で、「吹く風とともに友人はできる」とか哲学者っぽいことを思いながら暮らしていたわけです。

身体計測が全て終了するも、我が教室が何かに使われていて、教室の前に先輩の方々がたくさんいたので、近づけません。ですから、我が班はその階のトイレで近づける時を待っていました。

すると、ある班員同士が
「男子便所でウンコを流さない人間」についての会話を始めました。
そう、いるんです。こういう奴。置きウンコ。見せびらかし野郎です。
何故流さないのか。心境が全く理解できません。
情緒不安定で流すことを忘れたのか。
それとも「今日の俺のウンコ、出がいいぜ」と他人に見せびらかしたいのか。

中学校の時からずっと、彼らの心理がわからないでいました。
何故だ。何故なんだ。何故ウンコを残していくのか。流せ。お前、流せよ。

そしてもちろん臭いです。臭すぎ。
そりゃあ、だってウンコですから。

すると、ある班員がこう言いました。
「音が嫌なんよ」

私はかなり強い衝撃を受けました。
ついに「何のために生きるのか」に次ぐ人生の謎が解明されたのです。

まだ、意味がわからない人に説明します。
男子便所は小便器と大便器に分かれています。
小学校で小便器はみんな使いますが、大便器はあまり使われません。
小学校でウンコは差別されるのです。
小学校でウンコをした人間は
「ウンコ星人」「ウンコマン」「ウンコ大統領」「ウンコキャプテン」「ウンコキング」
などと呼ばれ、その悲惨なあだ名とウンコと共にこれからの学校生活を歩むのです。
もちろん中学生はそんなことはしません。

ウンコをする人間がいる証拠として大便器のドアには
赤いランプが点灯されます。そして、小学生はそこから出てくる人間を待つのです。もちろん中で排出中の人もその存在に気づきます。そしてまるで今から死刑にされるような顔つきでドアを開け、結局「ウンコ大魔王」などと呼ばれてしまい、苦しむのです。

そのような人間を今までたくさん見ている子供達。
学校の男子便所でウンコをする時にかなり劣等感を感じ、それをトラウマとして今でも抱き続けている中学生がいるのです。

そんな中学生の悲しい抵抗が「置きウンコ」です。
ウンコを流すとともに「ジャー」という音がしますよね。
男子便所において、あの「ジャー」の音は
「私はウンコをしました!」
と叫んでいるようなものです。
ですから、この「ウンコ排出宣言」を避け、ウンコを排出したのに宣言をせずに、こっそりとトイレから出て行くのです。俺がウンコしたんじゃないよと。

しかし、この「ウンコ排出宣言」を避けてトイレから出る場合、その男子トイレに誰も居ない状況であることを見極めることが必要になってきます。何故かというと、お分かりだとは思いますが、便器にウンコが置かれている状態でドアを開けるわけです。ウンコを残してトイレから出てくる人を目撃した時、あなたはどう思いますか?
「なんだこいつ、流せよ」と必ず誰でも思うと思います。
ですから、かなり集中させてウンコをするタイミングをつかまなければなりません。

このような「学校でウンコをすることに劣等感を感じている子ども達」の悲しい抵抗が流さないウンコ、俗に言う置きウンコだったのです。もし、駅などの便所で置きウンコを見かけたら、きっと私は涙を流すでしょう。「今でも男子便所でウンコをすることに劣等感を感じている大人達」かもしれません。そんなことを考えると、自然と涙が溢れてくるものです。

昨日、このようなことに気づき、思わず「ああ!音が嫌なのか!」と口走り、彼らと置きウンコについて2〜30分語り合いました。もしこの方々とお友達になれた場合、友情のきっかけはウンコ、ウンコがつなぐ友情の輪。ウンコ感謝なわけです。

(今回ケタ違いに長いですが、それほど私が衝撃を受けたことを理解してください)













頭の中で吐きまくり
だいたいわかるでしょう?この感じ。






「吹く風とともに友人はできる」
つまりは友人を作るには自然に過ごせ、ということです。話し掛けるタイミングなんて考えなくていい。自然なところから会話が始まるのです。そうやって自然と友人というものはできるのです。不自然な奴にいい友人はできません。


置きウンコ
男子便所において、流されてないウンコの俗称です。他にも「メッセージ」などと言われます。このウンコを他人が流してあげることを「ボランティア活動」といいます。



















赤いランプ
便所に入って、カギを閉めると、青色から赤色に変わります。そのことです。あれは男子便所では「ただ今ウンコ中です」とドアノブにパネルを引っ掛けているようなものです。

















「学校でウンコをすることに劣等感を感じている子供たち」
このような存在が生まれてしまうのは学校の教育、親の教育がなっちゃあいないからです。
男の子が気軽にウンコできる環境を作らなければなりません。真面目に。あんな男子便所の構造だと、便所そのものが大便を差別しているようにしか思えません。
そういえば、こんなことがありました。
小学校の時に「誰だ!小便器にウンコした奴は!」という話がクラスで起き、実際にトイレに見に行くと、ホントに小便器にウンコがされていました。
その時は笑い死ぬくらい笑いましたが、今考えるとそれも子どもながらに「ウンコ排出宣言」を避ける一つの手だったのでしょう。「小便器でやれば大きな音が出ない」と思い、やっちゃったのでしょう。もちろん流しても流れません。穴がないので。そんなことを考えると、心が痛くなりませんか?実際にこのような劣等感を中学生になっても持ち続ける人がいるのです。本当に小学校のトイレ構造をなんとかしてほしい。そうすればウンコへの劣等感は感じていかないはずです。誰でもウンコはします。ウンコを我慢するのは地獄です。すこし考えてみましょう。
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