Hawks応援共和国 緊急HP
皆さんから頂いたメッセージは「福岡ダイエーホークス 藤井将雄」宛てに送られました。
みなさんの藤井投手へのメッセージです。(書き込みはできません)
上とは別に書き込みができる掲示板です。
◆藤井投手からのメッセージ全文◆ |
皆様へ 今の自分があるのは、過去から現在において出会った全ての人のおかげだと思います。 その中の誰1人が欠けても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。 だから、すべての人に感謝しています。 プロ野球選手は、まわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。 でも、ボクは逆です。 たくさんの人々から夢や希望、エネルギーをもらってきました。 そのことがうれしかったんです。 6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。 その願いも去年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。 そして、今年はチーム全員で頑張ってつかんだV2。 すばらしい野球人生だったと胸を張れます。 この病気には、自分自身、すごく勉強させてもらいました。 孤独や優しさ、思いやり、不安。 人間の本当の感情に触れることができました。 今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。 すべては、この病気が教えてくれたことです。 この1年間、ゆっくりと休ませてもらいました。 あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ、球団の方々、王監督、チームメートのみんな、感謝の気持ちは忘れません。 そして、生きる希望を与えて下さったファンの皆様、ありがとうございました。 これからもダイエーホークスを応援してください。 藤井 将雄 |
藤井投手は10月13日夜10時ごろ、福岡ドームそばの国立病院九州医療センターで亡くなった。
31歳だった。
Hawksのリーグ優勝を見届け、誕生日を明後日に控えながら藤井投手は天に旅立った。
病名は「肺がん」であった。
10月28日。藤井投手の姿はマウンドにあった。
藤井投手は見事に投げぬき、ホークスは初優勝で日本一という快挙を成し遂げた。
日本一達成後、医師が母・正子さんに「肺がん」が発覚したことを伝えた。
本人に告知はしなかった。
我々が肺炎だと思っていた前に、肺がんは発覚していたのだ。
藤井投手は日本シリーズ第2・5戦に登板、計2イニングを投げたが、その時も
「マウンドで胸がゼーゼーする」
と周囲に漏らしていたという。
シリーズ終了後、正子さんが親友の若田部投手に藤井投手が肺がんであったことを伝えた。
王監督にも伝えられていたという。
藤井投手は肺がんでありながら、ウェスタン・リーグ(ファームのリーグ)で6試合に登板していた。
入退院を繰り返しながら、再起の闘病生活を続けていた。
9月4日の再入院後、チームがM3とした10月上旬。
藤井投手自ら広報担当に「皆に会いたい」と電話を入れ、チームメイトら50人がお見舞いに行った。
10月7日のV2、胴上げの瞬間を見ることができたのは奇跡に近かったという。
この日、容体急変を聞いて駆けつけた王監督、秋山選手らが病室へ。
小久保選手は藤井投手のユニホーム・スパイクを持って駆けつけた。
その後続々と選手が駆け込み、深夜まですすり泣きが聞こえたという。
発病から約1年、藤井投手は立派に戦った。
16日、藤井投手は32才の誕生日を迎える。